厳しい自然に育まれた生活の知恵
麺の故郷と呼ばれる山西地方は、麺の作り方や麺料理の種類が400種類以上もあるといわれるほど、中国で一番麺の発達した地域です。しかし、その昔、山西地方でとれる穀物は雑穀が中心で、小麦はほとんど栽培されていませんでした。小麦が無いのに、なぜ麺作りの技術が発達したのでしょうか。それはこの地の持つ風土と大きな関係がありました。
山西地方は、黄土高原と呼ばれる標高1,000m前後の地帯に属します。黄土高原はその名の通り、見渡す限り木も草もなく、黄色い大地がどこまでも続いていて、ときに砂まじりの風が、地上のものをはぎ取るように吹き荒れます。黄土高原の荒涼とした自然は、人間が生きていくには過酷な環境ですが、このような環境の中でも人は生きるすべを学んでいきました。
黄土高原は、「三逃の大地」と言われています。三逃の三は、土、肥料、種のことで、春の強風が畑の土を奪い、夏の豪雨が費用と作物を押し流してしまうという意味です。やせて枯れた大地との戦いは、黄土高原に生まれた人々の宿命ともいえます。
雑穀は、このような厳しい自然に生きる黄土高原の人々が、長い年月をかけて荒れ地を耕し、試行錯誤した末、ようやく手にすることができた作物です。そして彼らはこの雑穀をさまざまに加工し、いかにおいしく食べるかを追求し続けました。
やせた大地でも育つユウマイ(エンバクの一種のオートムギ)をなんとか食べやすくする知恵として、彼らは細長い麺を考えつきました。
ユウマイは水分が多いので、製粉する前に水で炒ってから乾燥させ、石臼にかけます。山西省では、雑穀を調理する前に必ず粉にするので、石臼は生活に密着したものになっています。ユウマイは、水で溶くだけの小麦と違い、熱湯でなければ麺になりません。そして、その粘りのないユウマイを細長い麺にするために、てこの原理を応用した押し出し式の製麺機を作り、これによって、麺をトコロテンのように押し出して作るようになりました。なお、出来上がった麺は粘りが無く崩れやすいので、ゆでるのではなく、蒸して食べます。
このように、ユウマイを饅頭などにしないで、手間をかけてわざわざ麺にして食べるのには理由があります。それは、ユウマイが消化のよくない穀物なので、細長い麺の形のほうが胃腸にあまり負担をかけずに食べることができるからです。
こうして、厳しい黄土高原に生きる人々は、まさに彼らの知恵と技によって、ユウマイから作る「ユウ麺」という主食を得ました。
現在も、山西省の省都、太原よりも北に位置する人々の主食はこのユウ麺です。この麺は油分に富み、腹持ちがいいいことから「ユウ麺三十里蕎麺十里」とも言われています。ユウ麺を食べると30里歩くことができるが、蕎麺では10里しか歩くことができないという言い伝えのとおり、黄土高原に生きる人々の厳しい労働にも、このユウ麺は適しています。
黄土高原の人々が編み出した雑穀の食文化と麺作りの技は、小麦という穀物と出会って革命的に進歩しました。シルクロードから伝来した小麦は、水で粉をこねるだけで粘りがでてよくのびるという、麺に最も適した性質を持ちます。さらに、小麦はどの穀物よりもはるかに美味しい作物であったため、彼らは小麦に魅了され、その飽くことなき食への探究心を麺作りに凝縮させ、その結果、さまざまな麺作りの技術が生まれました。
その中の1つに、猫の耳のような形をした、「猫耳朶」があります。作り方は、表面につやが出てきめ細かくなるまでこねた生地を、麺棒で暑さ1cmくらいにのばし、幅1cmの棒状に切り、さらに賽の目に切ります。これを親指の腹かへらでこするように伸ばすと、くるりと反り返って、猫の耳のようになります。その形はシェルマカロニと似ていて、イタリアのパスタとの関連をうかがわせます。
一方、「撥魚児」は、やわらかくこねた生地を器に入れ、器を傾けて縁から垂らし、箸で熱湯の中にそぎ落として作る麺です。はねるように落としていく様子が、まるで魚の泳ぐ姿のように見えます。やわらかい生地なので、作る途中でのびるため、繊細でほっそりとした麺になります。
高度高原に生きる人々の技は、荒れ地で雑穀を作り、それを主食として食べる知恵として学び受け継がれてきたものです。その根底には、生きるために食べるという人間の持つ宿命と確かな営みがあることを感じさせてくれます。長い歴史の中、知恵と技の積み重ねの中で生まれた麺という豊かな食文化は、さまざまな形で世界中に伝搬し、人々を魅了し続けています。
その名の通り、猫の耳のような形をした猫耳朶は、角切りの野菜や肉と炒めたり、肉味噌やとろっとしたあんをかけて食べます。
撥魚児は、のびのあるのどごしのいい麺で、細長い形が魚に似ていることからこの名があります。これも千切りの野菜や肉と炒めたり、肉味噌やあんをかけて食べます。